京都が京都であり続けるために産官学民の意志を結び、取り組んできたまちづくり
ACHIEVEMENT 01
大島仁の仕事
京都の未来を見据えた新景観政策の策定
平成14年に都市計画局都市企画部長に、同16年には都市計画局長に昇任しました。
バブルが崩壊し、市民・事業者が損失を取り戻そうと各自の資産を思い思いの形で利用・運用し始めたことによって古都・京都の街の様相が壊れだしたのです。「忍び寄る景観破壊」がスピードを上げて進みだしたと言っていい状況でした。このままでいいのか。もう手遅れだ。いや、今できることをしておかないと後悔する。よし、思い切った政策を提案し、市民・事業者の方も一緒に議論に参加してもらおう。当時の桝本京都市長の大英断のもと、建築物の高さ制限や屋外広告物の規制など、京都の100年先を見据えた新景観政策の検討を開始したのでした。
ゴールデン・エイジ・アカデミー* に講師として登壇し『時を超え 光り輝く京都の景観づくりの新展開』について講演。
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その基本にあったのは「1200年を超える悠久の歴史の中で育まれてきた京都の優れた景観、これからも歴史を積み重ねながら新たに形成していく優れた景観」はとりもなおさず「時を超え光り輝く景観」であり、その景観づくりの目指すところは「京都がいつまでも京都であるために」、であるとの認識でした。
そして、「時を超えて光り輝く京都の景観づくり審議会」で、本当に真剣に、理想に燃えつつ冷静に、実現可能な新しい景観政策を審議して頂きました。平成17年7月25日から平成18年11月6日の間に10回にわたる審議会が開催され、そこで最終的に5つの柱と支援策がまとめられました。
新景観条例に対応したナショナルチェーンの看板
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まず、①地域の特性に合わせたきめ細かな建物の高さ制限②地域の特性に合わせた建物等のデザイン基準の制定③先人により守り引き継がれてきた眺望景観・借景の保全④屋外広告物の規制⑤歴史的な街並みの保全・再生、そして支援制度の創設というものでした。とりわけ高さ制限は大きな反対を受けました。東京、大阪をはじめ大都市では高層ビルこそが当たり前の時代、高さを競い合っている時代に、最高31メートルにするなんて財産権の侵害だという声すらあったのです。
長い長い討議の後、私はいつも最後にこうお願いしました。「私たちが愛する京都が京都であり続けるために、今、出来ることをやっておきませんか。それが出来るのは今、ここにいる皆さんなのですから!」
この渦中で、国土交通省から京都市に副市長として出向されていた毛利顧問にご指導頂いたことをはじめ、担当局長として各界各層の方々と、様々な機会に忌憚のないお話が出来たこと、ご意見を頂けたことは、今にして思えば至福の6年間だったと思うのです。そこで得たことの全てを、“智慧”を、これからのまちづくりに生かしていこうと思います。